白ずきんちゃんが
日本の被災者たちのために祈ってくれています。
とっても有難いことです。
韓国っていえば、てっきり「儒教」の国だと思っていました。
ところが韓国での儒教信者は、わずかです。
信仰宗教としてはほとんど廃れています。
【韓国の宗教】
無宗教 36.7%
キリスト教(ローマ・カトリック) 13.8%
キリスト教(プロテスタント) 23.7%
キリスト教(その他) 1.8%
仏教 20.8%
その他 3.3%
この3.3%の中にわずかに儒教信者が含まれます。
しかし「儒教の考え」は歴史的に深く根付いており、
韓国の国民性を形成していると言われています。
疑問1 なぜ、韓国で、こんなにキリスト教信者が多いのか?っと、その答えの前に、日本での信仰宗教の割合を見ると
【日本の宗教】
無宗教 51.8%
キリスト教(ローマ・カトリック) 0.8%
キリスト教(プロテスタント) 1%
キリスト教(その他)
仏教 34.9%
その他 4.5%
キリスト教徒は、すごく少ないですね。
仏教もある意味少ないです。
ご葬儀などを仏教形式で行うので、勘違いが多いですが、
本当に仏教の教えを信じている・・・信仰信者はもっと少ないと推測できます。檀家と呼ばれ、お寺と関わりがあっても、実は、その教えをほとんど知らない方が多いはずです。
もっとも、仏教を信じなくても「霊の存在」は深く信じてたりします。す。
だから、日本人はほとんどが、無宗教です。
そういえば、宗教などというと新興宗教を連想し、
オウムなんとかの人だと思っていたりします。
疑問2 なぜ日本人は「無宗教」が多いのか?
この疑問を、先ほどの疑問1と共にティム神父さんとキムさんが語って下さっていますので、抜粋させていただきました。
「キムさんは、韓国風のずきんに長めのトーガという若い女性のおしゃれなスタイルで颯爽と登壇されました。」
あ、もちろん、文中のキムさんは、ヨナさんとは別の方です。
ティム神父様
「二つの国を外から見て、国民性の違いを感じます。
韓国では自分の信じる宗教を持つことを良しとし、無宗教を恥ずかしいとする社会風潮があります。
日本は宗教に関心のない人が多い。経済や合理性を尊び、無宗教であることをむしろ誇りにしている人も多いように思います。
神様のことをいっても響いてくるものがないのです。」
キムさん
一言ではいえませんが、いくつかのことを思います。
まず韓国のカトリックはいつも民衆の立場に立ってきました。
民主化運動のデモでもカトリックの司教様、神父様は先頭に立っていたし、明洞の大聖堂は追われた人たちを守って、警察も立ち入らせなかったのです。
貧しくて食べるものがないとき教会は食べ物をくれました。
韓国は長く虐げられ、戦争の惨禍に遭って、神に祈るしかない境遇にありました。
だから神の布教には熱意があるのです。
また韓国のカトリックは外国の宣教によってではなく、韓国人が自ら学びイエスへの道を開いたという歴史も誇りにしています。
なるほど・・・よくわかります。
日本人は、
年明けには「神道」
お盆には「仏教」
暮れには「キリスト教」
困った時の神頼み・・・それはどんな神様でもOKなのです。
韓国人は有事に備えて、何かにすがりたいのかもしれません。
確実な答えはわかりません。
どちらが良いとかではありません。
信じれば、救われるかもしれません。
信仰があってもなくても、悪いことする人はするし、
信仰で心が完璧に綺麗になるとは、とても思えないのです。
日本人にとって一番信じられる存在は、自分自身であり、
かつては、それを取り囲む、社会的秩序と道徳が存在していました。
あえて、過去形なのは、昨今は、道徳観の欠如が犯罪を引き起こしたりして、社会問題になりつつある時代だからです。
最後に・・・
日本人の神様は戦前は、天皇陛下でした。
敗戦後、独裁政治は終わりました。
国民の象徴としての天皇制が遺されたのです。
韓国人の本音としては、それすらも許せないようです。
しかし、時代が、独裁政権の排除に向かうのに関わらず、
キリスト教の教えは、どこか独裁的だと感じるのは僕だけでしょうか
?
そして衝撃的な事実。
韓国で一番多いプロテスタントこそが「反日」の中心であること。
カトリック信者は、実は、友好的な一派であることなど。
僕は、大変、無知でした。
深読みする必要はありませんが、
白ずきんちゃんの祈りは本物だと、今はちょっと思っています。
[5回]
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この記事へのコメント
無題
自分もご多分に漏れずの無宗教者ですが、カナダでは、キリスト教布教個別訪問の手前一応仏教徒を名乗っています(苦笑)。世界史を学べば自ずと気付くことなのですが、人間が宗教を作り出して以来、その信仰の違いに端を発した戦争や弾圧が数多く起こっています。人間の精神を救うための宗教の筈が不要な争い、果ては集団自殺を起こしているという事実に突き当たる度に何かの宗教を精神的拠り所にする気には余計なれなくなりますし、善悪の区別と自己と他者への思いやりの心さえ見失わなければそれでいいと思っています。
でも、霊(魂)やあの世(異次元世界)の存在は、科学的な客観的研究も結構多く、納得せざるを得ないデータや理論も発表されているので信じています(計らずともどの宗教にも共通する考え方ではありますが)。
ちなみにカナダのキリスト教徒は、カソリックが圧倒的に多いですし、当然ながら本家の教えを守っています。勿論、モザイク国家社会なので、特定の国に敵意を抱くことは少なくともカナダ国民としての建前上起こりません(心の中では思っている人はいるでしょうが)。
Re:無題
それから、皆さまへも書いているのですが、
レコメントが非常に遅くなり、申し訳ありません。
平日は、なかなか観れなくて。
この記事も日曜日に夜更かしして書いて(^^ゞ
途中、半分寝てるような文章になっていて、恥ずかしいです。
たしかに、宗教戦争は多いし、悲惨だし、現在進行形ですね。
第二次世界大戦も、天皇を崇める信仰を日本人がもっていたという意味では、
宗教戦争に近いのかもしれませんね。
日本の味方だったナチスドイツは、ユダヤ教の弾圧をしていましたしね。
信じる神の違いで、命を掛けて戦うのですから、宗教も生半可な気持ちでは向き合えないものなんだなと思いました。
いつも、考えさせられる深いご意見をいただきまして、本当にありがとうございます。
日本から出て生活したことのない僕などにとっては、
海外に住まれるcanadaからさんのご意見は、とっても貴重だと思っております。
今後も、いろいろ教えてくださいね。よろしくお願いいたします。
無題
キリスト教にしても仏教にしても、紀元後起こった宗教はなにかと衝突を起こす種子となってしまっています。(宗教を建前とした侵略とか)
宗教の根本はどの宗教もほぼ同じに思えるのに、それを司る『人の都合』でおかしな方向へ向かってしまうことこそが問題ですよね。
日本人にとっての神は、歳神さま、かまどの神、あぁ、トイレにもいらっしゃいましたね。(笑)
その他色々八百万の神でありました。
日本人の無宗教が多いのは、この八百万の神を信心していたところから来ているのではないかと思います。
どこにでも神様はいると。
だからこそ、こんな時でも自分自身だけでなく、他の人やモノにも思いやる心を持った人が多くいるのではないでしょうか?
Re:無題
コメントありがとうございます。
八百万の神さまがですか。
たしかに、風神さま、雷神さま、自然や天候などには必ず神様がいらっしゃいますね。
日本人は、こうやって昔から、自然を神様として崇めることで、自然災害と戦ってきたとも言えますね。
災害が神様の仕業であるとは思いませんが、もしも地の神様がいらっしゃるなら、
どうか、これ以上の余震は勘弁してくださいと、祈りたい気持ちです。
そうそう、身近な自然の神様といえば、「トトロ」を思い出します。
物語の最後まで、その正体は、明確にはなりませんが。
「小さい頃は、神様がいて」という歌いだしの松任谷由美さんの歌が主題歌の「魔女の宅急便」といい、宮崎アニメには、よく「神さま」のような存在が現れます。
それは、とても不思議で、夢のようで。でも、実はとても身近で。
宮崎アニメには、とても自然に、日本の古くからの信仰が隠されているようにも思います。
と、大変長くなってしまいましたが(^^ゞ
もうすぐ世界選手権ですね。日本選手をいっぱい応援いたしましょうね。
それでは。