フィギュアスケートは芸術。
会場が感動に包まれて「ナンボ」って思っていましたが
なんのなんの・・・フィギュアスケートの点数は単純に「算数」なのです。
[171回]
算数ですから、
足し算、引き算、掛け算、割り算でもって
より高い点数になるように
計算すれば、答えがでるのです。
そう。
計算式が示すとおりに実行できれば、
いとも簡単に勝利が手に入るのです。
オッタビオ・チンクワンタ率いる一派は
フィギュアスケートを
算数で勝利できるルールに変えてしまったのです。
「掛け算」・・・得意なコーチに就き、
「足し算」・・・上手な振付師に振付てもらい、
「引き算」・・・ロビー活動で、極限まで減らし、
「割り算」・・・自国のスポンサーに協賛させる。
ほら、この4つをしっかりすることで、
第2、第3の「キム・ヨナ」が、いとも簡単に作れるのです。
かのブライアン・オーサー氏とその仲間たちは
点数を稼げるフィギュアスケーター作りに長けているのです。
技術点は計算通りに積み重ね、
芸術性をも、振付師任せでOK。
となると、
心のこもらない平坦な表現力でお茶を濁され、
会場は、「感動」とは無縁の勝利に
一挙に興ざめしてしまうわけですね。
その結果、あの女は
「ママとオリンピックなんて簡単ねって言って笑ったの」
と言い捨てることができたのです。
しかし、この算数的な「空虚な勝利」は
どの選手にも、喜びをもたらすわけではないようです。
当の本人でさえ、一度、空虚に勝利した後は、
モチベーションを保つことが難しかったようで、
2010WORLD、2011WORLD、2012NRW杯では、
魂の抜けたような演技を平気で見せてくれました。
本人も「オリンピックで金メダルを獲ったら、二度とスケートはしないんだ」と
フィギュアスケートへの情熱が冷めていることを平気で吐露していましたし。
もう、勝つことに慣れて、面白くもなんともないってな顔していますからね。
今後、また、空虚な勝利を得るには、
なにかモチベーションを上げるアイテムが必需となります。
それが、仮想敵国ならぬ、仮想ライバル「浅田真央」なのは確かです。
ほんとに、実際、ものすごく、とても迷惑です。
また、スポーツ選手として、芸術家として
フィギュアスケートを滑る選手にとっても、
「空虚な勝利」は、あんまり嬉しくないようです。
特に、魂の演技を見せてくれる日本選手や
日本選手を応援している日本人のファンは、
「熱い勝利」を期待しがちです。
会場の感動値の低い勝利に対しては、
非常にカライ批判も起こり得ます。
たとえば、頭の良い羽生くんは、
オーサー氏の元、半年ほど計算式を学んだだけで、
その高い潜在能力と相まって、高い点数を得ることに成功しています。
ところが、2012年末の全日本で
高橋くんの、日本中のファンを熱くした演技を
辛くも凌いで1位を得たというのに、
羽生くんは、少しも嬉しそうには見えなかったのです。
羽生くんは、2011/2012シーズン、
空腹で飢えた魂の演技で、会場を感動の渦で包んだ、
あの高揚を、喜びを知っているからこそ、
全日本の勝利は、複雑な思いで受け止めたのでしょう。
オーサー氏にしてみれば、
当たり前に得た、計算通りの勝利かもしれませんが。
もちろん、「空虚な勝利」も
努力や、潜在能力なしには得られないものですし、
「4つの計算」は、個々選手のがんばりだけでは、
どうしようもないものです。
ただ、日本のファンを納得させる勝利は
きっと、感動の涙の先にしか、
見つけられないのではないかと思います。
ただ「勝つ」だけでは、満足できない。
ただ「勝つ」だけの選手を認められない。
非常に、身勝手ですが
「感動なくしては『フィギュアスケートではない』」と
「上手く計算したものが勝ててしまうルールなど、ルールではない」
と言いたいですね。
そのために、一ファンとして何が出来るかを考え、行動したいと思います。
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この記事へのコメント
無題
頭の良い羽生君が、これからどのような競技人生を送っていくのか非常に興味があります。
計算式のフィギュアスケートは、ある意味、悪魔のささやきですね。本人の能力は勿論必要ですが、競技において、とにかく勝利への最短距離への方程式ですからね。
Re:無題
こんばんは
コメントありがとうございます。
「計算式のフィギュアスケートは、ある意味、悪魔のささやき
勝利への最短距離への方程式」
ほんと、その通りだと思います。
勝利にこだわれば、こだわるほど
より近くで耳元でささやかれる。
一度、その流れに乗ってしまったら、
戻ることはできるのでしょうか?
とても恐ろしいことですね。
無題
感動を数値化するのは不可能だと思いますし、今の細かいルールに加えて匿名のままのジャッジでは、見た目や感動とのかい離がますます酷くなっていくだけのような気がします。
亡き小松左京さんが(真央さんの演技には‘華’がある、その‘華’というあいまいなモノを評価するのがフィギュアスケートだと思っていましたが…)
というようなコメントを述べておられたのを思い出しました、本来のフィギュア競技の素晴らしさを取り戻してほしいと心から思います
Re:無題
こんばんは。
コメントありがとうございます。
亡き小松左京さんの言葉「真央さんの演技には‘華’がある、
その‘華’というあいまいなモノを評価するのがフィギュアスケートだと思っていましたが…」
小松左京さんが、真央ちゃんのことをそんな風に思ってくださっていたこと、
心に染みますね。(TT)
華・・・まさに真央ちゃんは、美しくも可憐な華そのもの。
本来ならば、誰かが何かを基準に評価できるようなものではないですね。
神さまに点数を付けるようなものですから。
この華をみんなで大事に守っていきたいものですね。
私も!
FPの鬼プロどうなるかなって思ってたけどやりました!
もう、本当に感動しました!!
ちょっと忙しくなってPC暫く見れないです(涙)
Re:私も!
こんばんは。
コメントありがとうございます。
まさに鬼プロですよね。
四大陸でも、がんばってほしいですね。
名前忘れてました
すいません。
Re:名前忘れてました
やっとケビンくんの素晴らしい演技が観れましたね。
潜在能力はあるのに、なかなか成績に繋がらなかったケビンくんでしたが。
ぜひ、今後も「本気」を見せて欲しいと思います。
やれば出来る子=ケビンくんですね。
無題
が幸福か不幸かなんてどうでもいい。こやつの
ために、まともに頑張ってる他の選手が
とばっちりをくい続けてる。これはおそろしく
罪深い悪行だと思うっす。
Re:無題
こんばんは。
コメントありがとうございます。
変な女が、勝手に変なのは良いとして、
周りに迷惑をかけている自覚がないことが
一番、最低だと思うんです。
まったくもって、迷惑千万でございます。
ま、今後も、自覚することなどないでしょうけれどね。
無題
遅ればせながら本年もよろしくお願いします^^
フィギュアスケート選手はプログラムを演じる時、その世界観を表現する為に
ジャンプ、スピン、ステップ、そして滑りを駆使している
(役者や歌手ではないから、当然声は出せないですし)
↓
表現をする為に駆使している各要素の質が良ければ
観客はよりスムーズに世界観も感じやすくなる
↓
より多くの観客がその作品の世界に引き込まれた結果…
↓
会場中が割れんばかりの拍手とともに大きな感動に包まれる
その作品によって観客は笑顔になったり、涙したりする
そしてその反応に、演じた選手自身も手応えや喜びを感じる
↓
キスクラでその選手の喜びを、コーチはもちろん
会場中(テレビ観戦)で分かち合う
この流れが私がフィギュアスケートという競技を好きな所です!
けれど、最後のところで自分の受けた感動と得点の差に
目が点になる事がしばしば…
「コンビネーション決まったぁ。よし、○点はいったな」
「キレイにスピン回れたし○点はいくだろう」
「出来栄えはともかく、今日のステップはレベル4」
もし、こんな感じで選手が頭で計算しながら演じてるとしたら
真の感動は絶対に生まれない!
上っ面だけの表現力では、得点の記録にはなるかもしれないけど
10年、20年後の記憶には絶対に残らない!!
ねこさんが仰ってる
>ある意味、悪魔のささやき
>勝利への最短距離への方程式
私もまったく同感です
若い選手が多いフィギュアスケート界において
大人の勝手な都合(組織やら、お金やら、駆け引きやら…)で
選手を駒のように使い捨てていくような事になって欲しくないなぁと
真剣に思う今日この頃です
長文になり申し訳ありませんm(_ _)m
Re:無題
こんばんは。
熱きコメント大歓迎です!!!
ありがとうございます。
この件に関しては、
先にいただいた「ねこさん」のコメントの
「ある意味、悪魔のささやき>勝利への最短距離への方程式」が
まさに言い得て妙ですね。
とても的確な表現だと思いました。
真の感動のフィギュアスケートを
ずっとずっと観ていたいですね。
適当な演技で高得点もらって
満足するようなフィギュアスケートなど、
観ていても楽しくも嬉しくもないですもんね。
そのために一ファンとして何が出来るか
ずっと考え続け、実行していきたいと思います。