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あにき日記

フィギュアスケート好きのあにきの日記

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この2枚の写真から、
真央ちゃんの前世は、やはり白鳥だったことが判明いたしました。

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その抱きしめ方は・・・
い・け・な・い・よ。

見てるほうが、照れくさくなってしまう。

真央FANはみんな、真央ちゃんを抱きしめたいんだから
一人占めはいけないよ。

その抱きしめ方は、
女性に対する抱きしめ方、レベル2だ。
悔しいくらい、GOEプラス3。

でも、女性に対するといっても、
愛や恋じゃないんだよね。

なんというか、敬意というか、レディーファースト?
美しく、尊いものを壊したくない気持ち。

もっとも、
本当のところは、単に新しい衣装に、お化粧の粉が付くのを
無意識に避けただけかもしれないけどさ。

いろんな意味こみこみで
「真央ちゃんを女性として見ている」
抱きしめ方なんだよな。

もちろん、高橋くんは他の女子選手たちも、
女性として見てると思うんだけど、

以前の真央&大輔は、
友情ハグ、レベル4、GOEプラス3だったからさ。

こんな感じ。

いっそ、思いっきりガバっと


かわいい妹を抱きしめるように


または、戦友同志、ガッチリと

ここにきて、このハグ。


もう、だめだ。
真央ちゃんを抱きしめたい。
わ~~~ん。

誰がどんな風に真央ハグしているか
検証スライドを作りました。
いつもに増して稚拙な出来上がりですが
よろしければ、ご覧下され。

あれ、紹介していないのに
再生されてる???

Hug Mao Long.ver(ドイツでは観れないのです)


Hug Mao Short.ver

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平昌冬季五輪のフィギュア 開催国出場枠なくなる

聯合ニュース 10月23日(火)13時7分配信

 【ソウル聯合ニュース】冬季五輪のフィギュアスケート競技で開催国に与えられている出場枠が、2018年に韓国・江原道で開催される平昌五輪では廃止される。国際スケート連盟(ISU)がこのほど公式発表した。
 これまで冬季五輪フィギュアスケートの4種目は、開催国の選手が自力で出場権を獲得できなければ、種目ごとに1人(組)の出場を認める枠を設けていた。しかし今年のISU総会で、実力のある選手により多くの機会を与えると同時に競技全体をレベルアップすることを目的に、規定をなくすことが決まった。2014年のソチ五輪では現行通り出場枠を与え、平昌五輪から廃止となる。
 一方、大韓スケート競技連盟の関係者によると、韓国は総会で強い反対の意を示し、投票でも反対票を投じたという。韓国としては、メダル争いには大きな影響はないものの、競技歴の浅いアイスダンスやペアの場合は、ホームでの大舞台を若手に経験させられないという残念な結果になりかねない。
 関係者は「育ちつつある有望株を対象に支援と投資を集中し、若手が平昌五輪に自力で出場し好成績を収められるようにする」と話した。





平昌冬季五輪のフィギュアスケートで
開催国出場粋が無くなると大騒ぎしてるようだ。
気が早いことだ。

っというか、5年後に、あの国で冬季五輪があることすら忘れていた。
ちょっと悪い夢を見てたと思ったのだが、
やはり開催するつもりか・・・かなりショックだ。

記事にも有るように普通に出場権が得られば、
問題ないんじゃないのか?
ま、そのころには、「国民の祖母※」も引退しているだろうし
次世代の選手をまじで育てないとだめだろうな。
しかも、「育ちつつ」の段階の選手だって、ほぼ、女子に限ってる。
男子って聞かないな。
あ、居たな、居たいた。seokとかいう人が。

※注  人間としては若いが、フィギュアスケーターとしては老化しているの意

それとも、祖母が現役続行して、老体に鞭打ってクネクネるのかな?
そもそも、ソチだって、どれだけクネクネれるかわからないのに。

ペア・アイスダンスについては、日本でも少ないから
偉そうなことはいえないが。

でも、まあ、HaeさんもSoさんも、それなりに育ってるんじゃないかな?
腐れ完熟ヴァンパイアよりは、もぎたては新鮮でよろしい。
JGPでは、Haeさんが7位で、ファイナル逃す。でも1大会で優勝してる・・・
soさんが12位。でも、1大会で2位も・・・




Hae Jin KIM (KOR) - ISU JGP Sencila Bled Cup 2012 Junior Ladies Short Program


Hae Jin KIM (KOR) - ISU JGP Sencila Bled Cup 2012 Junior Ladies Free Skating

So Youn PARK (KOR) - ISU JGP Istanbul 2012 Junior Ladies Short Program


So Youn PARK (KOR) - ISU JGP Istanbul 2012 Junior Ladies Free Skating

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小塚くんがスケートアメリカのエキシビションで
この衣装で演じたのなら、
きっと、「The sound of silence」だったと思う。
三年前にこの曲を滑りたいと申し出た小塚くんを
佐藤有香さんは断った。「まだ早い」

有香さんが、何故「まだ早い」と言ったのだろうか?

演じにくい曲想だから?
振付が難しかったから?
いろいろな考えがあってのことだろう。

しかし、佐藤有香さんは「今季」小塚くんに許可を与える。

理由はこの歌の歌詞にあるように思う。
いろんなサイトで日本語訳されているが
佐藤弘弥さんという歴史学者の方が実に興味深い訳と解釈をされているので
ここで紹介してみたい。




ずっと昔、ポールサイモンが作った「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」という歌に触れ、その意味をしみじみと味わった時、背筋が凍るような思いをしたことがある。

その歌は、こんな感じで始まる。

The sound of silence (Simon & Garfunkel)

1
Hello darkness, my old friend( こんにちわ暗闇くん。君は僕の古くからの友人だ)
I've come to talk with you again(また君と話しに来てしまった)
Because a vision softly creeping (その訳は、ひとつの幻想がやさしく忍び寄ってきて)
Left its seeds while I was sleeping (僕が眠っている隙に一粒の種残していったからだ)
And the vision that was planted in my brain (そしたらその種が僕の脳の中で大きく成長し始めたのだ)
Still remains (だけど幻想はまだ沈黙の音の中でじっとして動かないままでいる・・・)
Within the sound of silence

一番の歌詞は、作者(人間)が眠っている隙に、
幻想(vision)が、人間の中に忍び寄ってきて、種を蒔いていったというのである。
つまりこの歌は、夢の中での出来事ということになる。
作者の頭に、幻想が蒔いた種とは何か。
作者は、自分の頭に幻想という異物を蒔かれたことで、違和感を持った。
今までと感覚が違うのである。
どうもおかしいと思い、どんな種か、それを確かめるために、
暗闇の中で、幻想の種のなんたるかを探ろうとする。

とかく人間の脳というものは無防備だ。
ひとつの言葉、ひとつの音楽、ひとつの祭、ひとつの恋が、心の中で大きく膨らんで、
その人間そのものを支配してしまうほど、巨大化してしまうことがある。

種というものを考える時、そこにはDNAによって、
成長すればどのようになるかという神の設計図のようなものが書かれている。
つまり種とは、目的を持った何ものかということになる。
さてこの「the sound of silence」とは何か。
これは「沈黙の音」あるいは「沈黙という音」というように訳して構わないと思うのだが、
沈黙には、そもそも音がないのだから、実に不条理な表現だ。
それに定冠詞の「THE」を付けているのだから、作者のポール・サイモンにとっては、
自己の中では明確に意識された「沈黙の音」ということになる。
次に闇の中で、ポール・サイモン自身と思われる男が、
沈黙の音に触れ、いよいよ「沈黙の音」の正体が少しだけ明かされる。

2
In restless dreams I walked alone (落ち着かない夢の中で、僕は独りで歩いていた)
Narrow streets of cobblestone (敷石の狭い通りに差し掛かり)
Neath the halo of a street lamp (街灯の円い光に近づいた時、)
I turned my collar to the cold and damp (思わず寒気がして僕はコートの襟を立てたのだ。)
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light (その時だ。僕の目はネオンのフラッシュに射抜かれ、)
That split the night (夜は、引き裂かれてしまった)
And touched the sound of silence (そして、僕は沈黙の音に触れたのだ。)

一見、何のことやら、分からない。少しイメージを拡げて考えて見よう。
「ネオンの光」は人工的なものを象徴していると仮定する。
そして「夜」というものを、自然の摂理とみる。とすると、
ネオンは「夜の暗闇」を引き裂く光となる訳で、文明を象徴していると考えられる。

それにしても、作者ポール・サイモンは、何故ネオンが眩しいと思った瞬間に、
沈黙の音に触れたと実感したのだろうか・・・。

3
And in the naked light I saw (僕は見てしまった。裸電球の下で、)
Ten thousand people, maybe more (一万か、いやもっと多くの人が、)
People talking without speaking(口を動かすこともなく語っている姿や )
People hearing without listening (耳をそばだてることもなく聞いている姿や)
People writing songs that voices never share (歌われることもない歌を書いている姿を)
And no one dare Disturb the sound of silence. (だけど、誰も沈黙の音というものを遮ろうとするものはいない・・・。)

作者は、恐怖の夢の中をさまよい続けている。
次のヴィジョンは、裸電球の下で、様々な矛盾と無意味と不条理の人生を送る現代人の姿だ。
その現実を垣間見て愕然としている。

裸電球に象徴されているものは、
作者ポール・サイモン自身の幼い頃の文明の光の原始的なイメージだ。
いつしか人類の文明は、暗黒の夜の中で、ほんの少しばかり、
明るくしていた裸電球を大きく発展させている。
そして今や夜そのものを引き裂くほどのまばゆさに変わっている。
つまり裸電球は文明の原初の姿。
ネオンは文明が高度に発展してしまった究極の姿を暗示していることになるであろう。

文明によって、蒔かされた種子は、
いつしか夜という絶対の価値すらも危うくするほどに成長してしまったのだ。
その中で、無批判に人々は無価値・無意味・不条理な人生を送っている。
その状態をポールは沈黙の音(ザ・サウンド・オブ・サイレンス)と規定しているのだ。
すなわち沈黙の音とは、文明の中の「あるもの」(物質)を指すのではなく、
文明の変化過程における「ある状態」(時間)を指していることになる。
その状態とは、コミュニケーションというものを喪失した社会における人間の有り様と言えるだろう。
ここにおいて作者が「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」(沈黙の音)というタイトルに込めた意図が明らかになる。
つまりこのタイトルは、現代の文明が、
日常はき出している騒音か雑音つまり「ノイズ」ということに単純化することも可能となる。

その現代文明が、日々はき出すノイズに対し、作者は怒りすら覚え初めている。

4
"Fools" said I, "You do not know (「馬鹿」って言うよ。君たちは何も分かっちゃいないのだ。)
Silence like a cancer grows (沈黙の奴が癌のように大きくむしばんでいるのを。)
Hear my words that I might teach you (僕が諭す言葉をよく聞くのだ)
Take my arms that I might reach you (僕が差し伸べる腕をしっかり取るのだ )
But my words like silent raindrops fell (しかし、僕の言葉は沈黙のままで滴り落ちる雨粒のようなもの。)
And echoed In the wells of silence (沈黙の井戸に、落ちて、ポチャリと、こだまするだけだ。)

「And echoed・・・」というフレーズを「沈黙の井戸に落ちてポチャリとこだまするだけ・・・」
と意訳した時、私の中では、芭蕉の名句「古池や蛙飛び込む水の音」が響いていた。
自分の発する言葉が、次から次と自分の口から湧いてきて、
蛙のようにして、閑かな古井戸に飛び込んで行く。
しかしそれは豊饒の井戸ではなく、沈黙と名付けられた絶望の井戸なのである。
何という孤独。自分の生み出した言葉の力のなさと無意味を感じる時、
作者ポール・サイモンは、世の中の不条理という秘密を知ってしまったのだろうか。
その時の作者の孤独と悲しみは、計り知れないものがある。
そしてここにはある種のニヒリズムが漂っている。
キリスト教的な解釈では「洗礼」という意味も込められている。
しかしその豊饒であるべき源泉がブラックホールのように側にある
自分の生み出す言葉というものすべてを呑み込んで、沈黙に換えてしまうのである。
何を言っても誰もその言葉が届かないままでポールは夢の中でぼう然と立ちつくしているのだ。

更に作者の悪夢は続く。

5
And the people bowed and prayed (人びとは、ぬかずき祈りを捧げていた。)
To the neon god they made (自分たちが勝手につくり出したネオンという神に。)
And the sign flashed out its warning (すると、ネオンの掲示板に、ふいに警告の言葉が現れた。)
In the words that it was forming (光が織りなすその言葉で)
And the sign said (ネオンの掲示板は次のように語る。)
"The words of the prophets are written on the subway walls (「予言者の言葉は地下鉄の壁にも」)
And tenement halls.(「そして安アパートの廊下にも書かれてある」と)
And whispered in the sound of silence (それでも沈黙の音の中で人々のささやきは続く・・・) (日本語訳:佐藤)


現代の神話がここにはある。
ネオンの神という概念は、文明に対する無批判な依存関係を指す。
産業革命以降、西洋の文明が、この地球にもたらしたものは、
人間という種によるコロニー化(植民地化)であり、自然破壊という明々白々たる現実でしかなかった。
そのために、森林は伐採後に焼かれ、地球の砂漠化には加速度が付いている。
このままの傾向で進めば、人口爆発によって、百年か二百年後には、
地球の生態系は完全にバランスを失って人類に滅亡の危機が訪れると警告する未来学者もいる。
それでも現代人は、空虚なネオンの神にぬかずいて祈りを捧げているとすれば、
これは現代の戯画化(カリカチュア)そのものだ。
それは一面滑稽ではあるが、けっして笑うことでは済まされない怖い場面がここにはある。
今、空虚なネオンの神は、新たに進化し、テレビ文化というものを造り出した。
無知な人間の前を光が流れることによって、情報の洪水が、
あたかも人間を知識あるものに見せかけている。しかしそれはとんでもない幻想だ。
■■■人は何も分かってはいない。現実はもっと暗く。真実はもっと奥に隠されている。そのことを人は知るべきだ。
自分の心の中すら触れたことのない人間が、どうして世の現実を理解できるだろう。
私たちは、結局自分すら。自分の周囲で起こっている現実すら、分かっていないのである。
その証拠に、この「サウンド・オブ・サイレンス」という曲は知っていても、
その中身を深く知っていた人は、世界中でもほんの一握りの人に限られていたはずだ。
この現実が、「People hearing without listening 」(耳をそばだてることもなく聞いている姿を)という
我々の日常に潜む「沈黙の音」の恐ろしい現実なのだ。
ポール・サイモンがこの歌を書いたのは1963年であった。
それから既に40年の歳月が流れている。
しかしこの中で歌われている歌詞の現実は、
ますますリアルな光芒を放ちながら、我々の耳に響いてくる。
この歌の真の意味を人類が理解するのは、百年後か二百年後かもしれない。
大体私も含めて、この「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞を真剣に考えた人間が何人いるだろうか。
たいていは、意味不明、まあ、良いメロディだから何となく聴いている、
といった人間がほとんどではないのか。
それでいい。という考え方もある。
しかし人は、時には立ち止まり、頭が割れそうなほど、
そこに込められた意味を考えることが必要だ。
それが結局このどうしようもない「沈黙の音」という現代文明の放つ
「ノイズ」を打ち破る唯一の方法であろう。
更にこのテレビ文明の後に続いて起こっていることは、インターネットによる情報ノイズの大洪水■■■だ。
テレビ文明とインターネット文明の違いは、
情報の一方通行状況から、双方向に情報が行き交うということになる。
しかしどうも情報は一元的に管理される方向に意図的に流れていることは確かだ。
その根底には、「情報を支配するものは、世界を支配できる」、という暗黙の思考があり、
これがまた「沈黙の音」(サウンド・オブ・サイレンス)が「ノイズ」として流され続ける原因ともなっている。
その意味で、この歌は、どこかにいるかもしれぬ知恵の神が、
ポール・サイモンという現代の霊媒の口を借りて放つ警告の歌と言えるであろう。
このサウンド・オブ・サイレンスの作者ポール・サイモンと同世代のフォーク歌手にボブ・デュランがいる。
彼は、名曲「風に吹かれて」の中で、戦争など、世の中の矛盾を直接的に、鋭く突きながら、
最後の結論において、「友よ、その答えは、風に吹かれている」と、お茶を濁した。
それに対しポール・サイモンは、現代人の心に潜む幻想を、
「沈黙の音」という形で暗喩的に表現しながらも、結論においては、
現代人が心に持つこの幻想という不条理を打ち破る方法を明確に指し示した。
それはネオンの神、すなわち文明を疑うことから始まる。
そして夜が夜本来の暗闇を取り戻した時、幻想としての沈黙の音は打ち破られると言った。
しかしそれは極めて哲学的な修辞(レトリック)に満ちているために、
ほとんど理解されないままほぼ四十年が過ぎてしまった。
もしかして、作者のポール・サイモン自身も、この歌の普遍的な意味に
気づいていないことだって十分考えられる。だとしたら、尚更この歌の持つ意味は深いことになる。
ともかく、いつの日か、人類が、「沈黙の音」という不条理を打ち破る日が来ることを祈念しつつ、
筆を置くことにしよう。佐藤弘弥





少々、長かったので、特に気になった文節を赤い文字にした。

「テレビという情報の洪水」
「インターネットという情報の大洪水」
気付かない内に、頭の中に強引に入ってくる情報という悪魔。

訳者は、40年も前に書かれたこの歌詞に
まさに現在の社会の姿を読みとり、警鐘を鳴らしている。
もちろん、これは、この訳者の解釈なのだけど。

この曲の作者は
Simon & Garfunkelというアメリカのフォークヂュオ。
アメリカでは、この歌の持つ意味合いにについて
しばしば、論争が繰り広げられていると聞く。

有香さんはこの歌にどのようなメッセージを込めて
今現在の世界に発信しようとしているのだろうか。
暗いリンクにライトでの演出をリクエストされたそうだが。

たとえ、有香さんには意図するものがなかったとしても
アメリカの人たちは
この歌を演じる日本のスケーターを観ながら
今の日本について、考えを巡らしたのではないか?

「この時代に生きている人たちよ。思い出してほしい。
40年前からのメッセージを。」
小塚くんが、その滑らかなエッジに載せて、今、伝える。
「The sound of silence」

動画はTHE ICEの時の「The sound of silence」です。
<

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SPORTIVA記事より転載↓

【フィギュアスケート】 アメリカ大会で逆転負けも、
羽生結弦の未来に不安を感じない理由

青嶋ひろの●取材・文

「ここで負けちゃったので、次は絶対勝たないといけない。せっかく地元での試合(11月に仙台で開催されるNHK杯)ですし、相手が高橋(大輔)さんだろうと、チームメイトだろうと、絶対次は勝ちたいです!」

 GPシリーズの初戦、スケートアメリカのフリー終了後の共同取材。3分46秒という短い間に、「絶対勝ちたい」の言葉を、仙台生まれの17歳、羽生結弦は4度も繰り返した。

 悔しい気持ちは、よくわかる。今大会の会場入り後、3度滑った公式練習では、そのすべてで驚くほど絶好調。4回転トーループも4回転サルコウも、これでもかと決めて見せた。前日のショートプログラムでは歴代最高得点の95.07点で、2位の小塚崇彦を10点近く引き離して1位。フリー前、誰もが彼の優勝を疑っていなかったし、ミスをしたとしても4回転一度くらいではないか、と考えていた。そのくらい彼が負ける要素はなく、勝てる試合だったのだ。

 それが蓋を開けてみれば、4回転トーループ転倒、4回転サルコウ転倒、2回転ルッツ両足着氷、コリオグラフィーシークエンス(ステップ、ターン、スパイラルなどの連続)は認められずノーカウント……とミスが続いてしまう。フリー3位、総合2位にとどまったのが不思議なほどの出来だった。
 
「まだこんなもんなんですよ、今の自分は。あれほど安定していた最初のトーループでこけちゃったことで、かなり集中力が乱れて、最後まで……。情けないです、本当に」

 しかし、これだけの大失敗を前にして、現地の日本チーム関係者や報道陣に悲壮感はなかった。それは羽生結弦が公式練習で、ショートプログラムで、ジャンプ、スケーティング、プログラム表現のすべてにおいてレベルアップした姿を見せていたからだ。また、彼がほんとうは本番に弱いわけではなく、これまでもさまざまな失敗をすべて短期間で昇華し、シーズン終わりには必ず課題をクリアしている、その強さを誰もが知っているからだ。



「絶対次は勝ちたいです!」

 彼が言うならば、やってくれるだろうな――何の疑いもなく、周囲の誰もがそう思えるのだ。

 羽生結弦は、逆境に強い。プレッシャーやトラブルを楽しめる、「多少の困難があったほうが燃える」などと言う、ちょっと特異な強さを持っている。

 ふだんの試合でも、アクシデントのひとつやふたつ起きたほうが「かえって開き直り、気持ちが落ち着く」というのだ。たとえば今年3月の世界選手権では、棄権を考えるほどの捻挫を大会期間中に負い、さらにフリー直前にエッジケースや衣装の手袋を紛失しかけながら、見事にフリー1位、総合3位。

 今回のスケートアメリカでも、飛行機の出発に出国対応が間に合わず、乗り遅れるというハプニング。スケジュール管理が最重要事項となる試合で、なんと到着予定が丸1日遅れてしまったのだ。焦るオーサーコーチをよそに、「ちょっと大変でしたけど、自分の中では吹っ切れました」などとうそぶき、ショートプログラムでは驚異の高得点を叩きだした。

 これまでの彼のスケート人生をふり返っても、この種の強さは際立っている。たとえばホームリンクを失うという長期的な困難に2度見舞われ、2度ともそれを飛躍のきっかけにしているのだ。

 スケートリンクが経営難で一時閉鎖された時には、「十分に練習できない辛さ」をバネに替え、リンク再開後、中学1年時の全日本ノービスで優勝。そして、昨年の東日本大震災で再びリンクを失った時も、アイスショーの全国行脚で練習不足を埋め、世界選手権の銅メダリストに。
 
 そんな「逆境王」の羽生結弦にとって、今年のシーズンオフはあつらえたように苦難の連続だった。17歳での世界選手権銅メダル獲得は、嬉しいことばかりではなく、密かに強い風あたりの元にもなった。「僕の結果を本当に祝ってくれる人なんて、少ないと思う」などと思いつめた言葉を吐くほどに。

 世界中の男子スケーターが自分をターゲットに追いかけてくるという立場に、いきなり立たされる。そんな「周りの目」の変化も、ひと夏を通して感じ続けた。若き銅メダリストには多くの注目が集まり、殺到する取材、ふくれあがったファンの数に、戸惑うこともあった。

また外国人コーチへの変更、海外(カナダのトロント)への練習拠点変更、英語もままならないまま、慣れない外国暮らしの始まり……。大きな環境の変化は、それだけで大きなストレスだ。さらに急なコーチ変更に賛成しない人々を、納得させなければならない、自分が頑張らなければ新しいコーチの評価にも響く、そんなことも盛んに気にしていた。

 そして、自ら設定した4回転トーループと4回転サルコウ、2種類の4回転を試合で跳ぶという、大きな課題。加えて、彼の弱点を克服すべく、新コーチ、ブライアン・オーサー、スケーティング担当コーチ、トレイシー・ウィルソン、振付師デイビッド・ウィルソン、ジェフリー・バトルが結託して、まるで悪だくみのように彼に課した「鬼プログラム」。ジャンプのテイクオフ前の複雑なムーブメント、一部の隙もないトランジション(ジャンプとジャンプの間のつなぎの演技)、現在の彼の技術ではとてもこなしきれない高度なステップ……。

 それらで組み立てられたショートとフリーのふたつのプログラムは、「これは試合で勝つことを考えていないのではないか?」と首をひねりたくなるほど高難度だ。カナダの一流指導陣は、目の前の試合で勝つためではなく、乗り越えることで羽生がさらに成長するため、試練としてこのプログラムを与えたのだ。
 
 高い高いハードルを前に、目いっぱい練習に励もうとしたこの夏。しかし3月に傷めた足首は「まだちょい痛い」(羽生)状態で、痛みと戦う毎日だった。夏を何とか乗り越えたころには、季節の変わり目で、持病のぜんそくの症状がひどくなり、最悪の体調でシーズンを迎えた。初戦のフィンランディアトロフィー(10月)ではガリガリに痩せ、新しいコスチュームが大きすぎて着られなかったほどだった。
 
 どうだろう? 並みの選手ならばひとつで、十分、1シーズンふるわなかった理由になるくらい、逆境のてんこもり。これが、17歳の少年を襲ったのだ。

 それでもこの少年のことを……私たちは、それほど心配する必要はない。数多の壁を前にして、「いやあ、大変だなあ、僕!」そんなことを言いながら、羽生結弦はうひょうひょと笑いだす。

.. 実際、今回は残念ながらすべて披露できなかったが、4回転トーループもサルコウも、抜群の安定感で手中にしている。鬼のようなコーチたちが教えこんだスケーティングスキルも、繊細なプログラム表現も、ジャンプミス連続の中でその片鱗を見せている。

 フリーでその強さを見せられなかったのは、ショートで余裕の高得点を出してしまったから? 彼にとって心地よい「逆境」が、足りなかったのでは? そんなジョークを言う記者もいたが、あながち外れてはいないのかもしれない。 

 だから今回の結果を前にしても、決して心配してはいけない。羽生結弦という「怪物」は、遅かれ早かれその非凡さのすべてを、氷の上で見せてくれるだろう。私たちは近いうちに、怪物に圧倒される快感を味わうことになる。それがほんの少し、先延ばしになっただけだ。




はいはい。青ちゃんに言われなくても、FANはみんなわかってる。
羽生くんがスケアメだけで終わらないことぐらい。

というか、青ちゃんの上げ過ぎコラムには、うんざりだ。
ほめてほめてほめまくって、
結果が出ないときは、叩きコラムを平気で載せる人だ。

それともなにか?
それは、真央ちゃんに対してだけなのか?

とにかく、もうわかったから、
「知ったかぶりコラム」ありがとう。

拍手[156回]

昨日は、羽生くんの歴代最高得点に圧倒されたけど
小塚くんは密か(?)に自己ベストを更新していた。

フリーでは羽生くんの注目度が俄然高い中で
小塚くんは、大きな崩れなくプログラムを手堅くまとめた。

控え目な好青年が存在感を魅せつけた瞬間だ。



小塚崇彦という人は不思議な存在感を放つ。
気付けば、そこに居る。
まるで、彼のスケーティングの
静かに、すーーっと伸びてくるエッジのように。



そんな彼が今季のフリーに選んだ曲は
サン・サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」。
劇的な旋律でありながら、
ヴァイオリンの音を鳴かせ過ぎない、凛とした表情を持つ曲。

これを何と表現しようか・・・
静かなる情熱、秘めたる熱情。

静かな小塚くんのスケーティングは
音楽にハマれば、たちまち表現豊かになる。



そう。
気付けば小塚くんが表彰台の真ん中に静かに立っている。



写真が少ないし・・・

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